最高裁判所第二小法廷 昭和26年(れ)1732号 判決 1952年7月11日
主文
原判決を破棄する。
被告人両名に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の各公訴を棄却する。
理由
弁護人真木桓の上告趣意第三点について、
強姦罪は暴行又は脅迫をもって婦女を姦淫する罪である。原判決挙示の証拠によれば、原判示の日時場所において被告人両名は他の五名の者と共謀の上、芳賀ウメ同ハルヨに対し判示の如き暴行をもって右両女を姦淫したものであることが明らかに窺えるのである。しからば原審が認定した本件暴力行為等処罰に関する法律(大正一五年法律第六〇号)違反の事実は、右強姦行為を構成する一部の事実たるに過ぎないものといわねばならない。
強姦罪は被害者の告訴を待って罪を論ずる所謂親告罪であるから、本件につき告訴があったかどうかを調べるのに、前示芳賀ウメ同ハルヨから強姦の被害を受けた旨の昭和二三年一〇月二九日附告訴状(記録一一丁)が提出されたが、検察官の公訴提起の前日である同年一二月二九日附右告訴人両名及びその父芳賀要助連名で告訴取下書(記録一一三丁)が提出されたことが認められる。
しかるに検察官は右告訴取消のあった翌日、被告人等の右両女に対する共同暴行の点について、之を暴力行為等処罰に関する法律違反として起訴したのであるが、第一審裁判所は、証拠にもとづき本件は本来強姦罪であると認定し、よって右告訴の取消により本件の公訴権は消滅したものであるとして公訴棄却の言渡をしたのに対し、検察官控訴の結果原審は第一審と見解を異にし、公訴事実とおりの共同暴行の事実を認定し、之を暴力行為等処罰に関する法律違反として処断したのである。
そこで親告罪である強姦罪において告訴のないのに(又は適法に告訴の取消があったのに)かかわらず、本来強姦罪の構成要件の一部の事実に過ぎない暴行又は脅迫の行為のみを捉えて提起された公訴が適法であるかどうかについて検討する。
強姦罪を親告罪とした理由は、被害者側の告訴のないのに(又は告訴の取消のあったのに)之を起訴し、その結果被害の事実が公けになるときは、被害者の名誉を傷つけその他之に多大の不利益を与えるとの考慮に基いたものであって、即ち被害者の意思感情名誉を尊重することの面に重点をおいたものであり、之に反し強姦致死傷罪は非親告罪となっているのであるが、この場合は死傷の結果の被害法益保護の面に重点をおいたものと解すべきである。立法の趣旨右の如くである以上、具体的事案においては両極端の事例として、たとえ軽微な傷害と誰もそれが強姦致傷の場合には非親告罪であり、之に反し単純強姦罪である限りはたとえその犯情最悪質のものであっても親告罪であるとの論結は之を堅持せざるを得ないのである。然らば当該具体的事案の犯情に拘泥し或は他に事由を捉え、もって以上の区別を紛訌するが如き取扱に出でることは法の到底容認するところではないといわねばならない。
本件について見るに、原審挙示の証拠に徴すれば被告人等を加えた七名の者が共同して前示両女に暴行を加え輪姦した事案と認められるものであって、その犯情の悪質であること凡そ単純強姦罪の頂点に位するものと認められるのである。従って本件は強姦致傷罪における軽微の致傷のものよりもその犯情遥かに悪質のものといわねばならない。しかし乍ら本件は苟くも公訴提起以前適法に告訴の取消があったこと前説明のとおりである以上、之を強姦罪として公訴を提起し得ないことは勿論、強姦罪の構成要件中の一部の事実たる暴行行為のみを抽出して之が公訴を提起することも亦許されないところといわねばならない。けだし之を理論の面より観察するに強姦罪は「暴行又ハ脅迫ヲ以テ……姦淫シタル」罪であって、即ち暴行又は脅迫と姦淫とが合一して構成される単一犯罪であるからである。換言すれば暴行又は脅迫と姦淫とが因果の関係あるときはその行為全体をもって常に強姦罪一罪のみが成立するものとするのであって、強姦罪でない他の罪即ち強姦の手段行為であった暴行罪又は脅迫罪が成立し、若しくは他の法令(例えば性病予防法の如き)に正条のない限り強姦の結果行為である姦淫だけを罰する罪は存在しないものであり、又強姦罪と共に他の罪即ち所謂一所為数法又は牽連犯関係の犯罪が成立するものとしていないことは、刑法の正条に照し疑を容れないところであるからである。そして以上の理は一人単独で犯した場合と数人共同で犯した場合との間に強姦罪としての成立要件において彼此差別を生ずる理は存しないのである。けだし苟くも暴行又は脅迫と姦淫とが因果の関係によって構成されたものである以上は右の両者は単に犯行の事実形態を異にするだけであって、強姦罪としての構成態様を異にするものではないからである。従って数人による共同暴行であっても、それが姦淫の手段であると認められる以上はたとえ暴行行為のみについて公訴が提起されても裁判所は当然強姦罪として審判すべきものであらねばならないのである。しからば強姦罪において告訴なき以上は之より暴行行為のみを抽出して公訴を提起することの許されない理を窺うに十分といわねばならない。次に之を審判手続の実際上の面より観察するに、仮に強姦罪につき暴行の事実のみにつき提起された公訴が適法とし且つ裁判所は暴行の所為についてのみ審判権があるものと仮定するも、裁判所が当該事案を審判するにはその犯罪の動機原因手段目的被害の状況程度等、当該犯情の全般に亘り審判すべきものであるから、通例の場合強姦被害の事実は凡そ公けにせられるところとなり、その結果は前示強姦罪を親告罪とした法の目的、即ち強姦罪においては犯人を処罰するよりも被害者の意思感情名誉を尊重することを重しとした立法の趣旨は到底之を達成すること不可能に帰するものといわねばならないのである。即ちこの審判手続における面から見ても強姦罪の場合においてその手段行為である暴行又は脅迫行為のみを抽出してなされた公訴の不合理性、従ってその違法性を知るに足るものといわねばならない。
然るに原審は、その判決に挙示する証拠に照せば本件被告人等の行為は強姦罪を構成するものであること明らかであり、しかも前示の如く告訴を欠如するものであるにかかわらず、右強姦罪の構成要件の一部である本件共同暴行に関する公訴事実と同趣旨の事実を認定した上、之を暴力行為等処罰に関する法律違反罪に問擬し、被告人両名に対し何れも有罪の言渡をしたのは、本来公訴提起の条件を欠き従って公訴を棄却すべきものを有罪としたのであるから、原判決はその判決に影響を及ぼすべき場合の違法があり、且つその違法は原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるのである。されば所論爾余の論旨に対する判断を用いるまでもなく、原判決は刑訴施行法三条の二、刑訴四一一条一号に従い、之を破棄すべきものとする。
よって当裁判所は刑訴施行法二条、旧刑訴四四八条に従い、更に事件につき次のとおり判決する。即ち本件公訴事実の要旨は、被告人両名は高橋義男、上田好道、大内義助、石場市太郎、高橋明と共にその多数の勢をたのんで婦女に暴行せんことを謀議し、昭和二三年九月二三日頃の午後一〇時頃福島県石城郡好間村字大畑隅田川炭砿撰炭婦である同郡内郷町大字宮字竹の内の芳賀ウメ同ハルヨ(姉妹)の両名の帰宅途中を待ち伏せ、おのおの覆面の上抵抗する右両女をつかまえて隅田川炭砿ズリ捨場の川辺及び同所ボーリング小屋に連行して同女等を押倒し或は裸体となす等、もって多数の威力を示して暴行したものであるというのであるが、原判決の挙示した証拠に徴すれば被告人両名の右行為は被告人両名が前示外五名の者等と共謀の上、前同所において芳賀ウメ同ハルヨを強姦した手段行為であることが明らかである。然るに右強姦罪に関する告訴権者のした告訴は本件公訴提起以前既に取消されたのであって、従って本件公訴は公訴提起の条件を欠如するものというべきであるから、旧刑訴四五五条同三六四条六号に則り、被告人両名に対する本件公訴は何れも之を棄却すべきものとする。
よって主文のとおり判決する。
この判決は裁判官藤田八郎を除くその他の裁判官一致の意見によるものである。
裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。
強姦罪が親告罪であること、これを親告罪としたのは、被害者の名誉等を顧慮し、被害者の訴追を欲する意思の表現を待って、はじめて訴追すべきものとする趣旨であることは今さらいうまでもない。しかしながらこの強姦罪の親告罪性は果して、どの程度まで、徹底せられているだらうか。
強姦罪が他の犯罪と結合して一罪をなす場合……例えば強盗強姦罪、……又は、強姦の結果人を殺傷したとき法律は既にこれを親告罪としていない。であるから、被害者が、その為め処女膜の裂傷を来したに過ぎないような場合でも、この場合には、強姦致傷罪が成立するものとして被害者の名誉心、羞恥心にかかわらず即ち、被害者の告訴を待たず犯罪の訴追が行われ判例もかかる訴追の適法であることを是認しているのである。又、強姦が他の犯罪と牽連の関係に立って、一罪として処断されるべき場合においては、--例えば、故なく人の住居に侵入の上、強姦をした場合には、強姦罪についての告訴がなくとも、その住居侵入罪については、これを訴追し、科刑することを妨げないことは、夙に、大審院判例の認めるところである(大正一三年四月五日集三巻三一八頁参照)。
要は強姦罪について、その親告罪としての性格を顧慮しつつも、その犯罪の兇悪性にかんがみ、犯罪防止という社会上の必要と、被害者の名誉等という個人的立場とをいかに調節するかということに、従来の立法、並びに判例の苦慮がはらわれて来たと見るべきであらう。
これを本件について見るとき、本件起訴にかかる被告人等の所為が暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当することは明らかである。たゞ、記録にあらわれた証拠からすれば、右の暴力行為は、一面において、強姦の手段として為されたものであることがうかがわれるのであるが、かかる場合強姦についての告訴がないからといって右起訴はその訴追要件を欠くが故に不適法として右被告人等の集団暴行の行為をも不問に付して然るべきものであらうか。この場合、強姦罪と暴力行為等処罰に関する法律違反の罪との想像上の数罪の成立を観念すべきものと思うのであるが、たゞこの暴力行為は、強姦罪の手段として、即ち、要件として強姦罪の内にあり、前に挙げた住居侵入と強姦と牽連の場合は、住居侵入は強姦罪の構成要件にあらず、犯罪の外にありという法律観念上の差異だけで両者を別異に取扱うべきものであらうか。
そもそも暴力行為等処罰法は、当時の集団的暴力行動の横行した社会状勢に対応するため、特に刑法暴行脅迫罪等の刑を加重するの趣旨において特別法を以て制定せられたものであって、同法に規定せられた集団暴力行為はこれを単なる刑法暴行罪の一態様を以て目すべきでない。即ち、右は、単純な個人の身体の安全を防護することを目的とするものでなく、或る種の社会不安に対応するための立法であることは、その制定の趣旨に徴して明らかである。すなわち、同法によって防護せられる法益は、単なる個人法益のみではなく公共に関する法益である。さればこそ、同法制定の当時においては、刑法単純暴行罪は親告罪であったにかかわらず、特に、右処罰法における暴行罪はこれを親告罪としなかったのである。即ち同罪における被害法益は一面において公共に関するものであるが故に、専ら公共の立場に於て、訴追を行うべきもので訴追すると否とを被害者の利益乃至感情にかからしむる余地のないものとせられたのである。
本件のような強姦の手段たる暴行が右処罰法にふれる場合においても、その理は一に解すべきであって、かかる場合右処罰法違反の行為については、もはや被害者の個人的利害もしくは感情によってその訴追すると否とを左右する余地のないものと理解すべきである。もとよりその強姦に関する点は親告罪としての性質を失わないのであるから、告訴のない限り訴追できないことは勿論であるが、強姦罪が親告罪なるの故を以て、この処罰法違反の点までもその親告罪性を及ぼすと解することは右処罰法制定の趣旨に背反するものと云わなければならない。況んや同法制定の由来をなす社会状勢は依然として緩和せられず、むしろ敗戦後のわが国において悪質の暴力行為は益々横行する社会状勢にあり、殊に全国各地において本件のごとき暴力行為が頻々として行われることは裁判所に顕著なる事実であって、右処罰法制定の必要は今日において特に喫緊であるというべきにおいておやである。多数意見は、たゞ、右暴行が強姦の手段であり、その構成要件の一部を成すの点にのみ著目して、一個の犯罪の構成要件の一部を取り出して、一罪として訴追することは許されないと主張するのであるが、本件の場合においては、右の暴行は単なる強姦罪の手段たるに止まらずそれと同時に国家が暴力行為等処罰法によって防護せんとせる別個の法益を侵害するものであって、この点において別個独立の犯罪が成立する。そして、それがたとえ同時に強姦罪の手段たる関係に立つとしても、右暴力行為に関する罪は、それ自体として、その親告罪性を否定すべき特別の理由があると理解せんとするのが自分の考え方である。(たゞこの種事案の審判にあたっては、これと一体を成す強姦罪が親告罪である趣旨に鑑み、判決等においても、特に被害者を特定し得るかぎりは、その氏名の公示を避ける等適当の措置を講じて十分に被害者の名誉を毀損しないように慎重留意することの必要であることは勿論である。)
自分は、原判決には所論のような違法はなく本件上告は棄却せらるべきものと思料する。
(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)